古見さんは、コミュ障です。

こちらは現代にあった漫画のタイトルと言えるかもしれません。

調べてみると、一口にコミュニケーション障害と言っても、通俗的に日常会話で使われる場合と、診断名などで使われる場合とで意味も変わってくるようですね。

 

この漫画の中で使われているコミュ障というのは、どちらかというと、通俗的な意味の方でして、人間関係が苦手とか、あがり症というような言葉が当てはまるかもしれませんね。

…っていうか、しっかり恋愛物ですよね。うん。

 

私、エログロ系の作品とかも、わりと好きなのですが、さらに好きなのが、ラブコメ物なんですよね。でも、この漫画のラブコメ要素が強くなったのは、連載が始まってからのようでして、以前、読んだ事がある「読切版」では、恋愛というよりも、エッジの利いた、ボケと突っ込みという印象でした。

 

主人公は古見硝子さんという。高校に入学する女の子です。

この主人公は、読んで字の如く、他人とのコミにケーションが苦手です。苦手というよりも、コミュニケーションが成立すらしていない場面も多いです。

 

古見さんが「私は一人で十分」と割り切って行ける人だったのならば、彼女も、もう少し悩む時間を減らせたのでしょうが、幸か不幸か、古見さんは、簡単に人間関係を諦めきれるタイプの方ではありませんでした。

「一人でお昼を食べたくない」

「みんなと修学旅行を楽しみたい」

「何気ないお話を友達としたい」

そんな、当たり前の日常に憧れを抱く女の子でした。

 

正直、古見さんが他人との会話をするシーンを見ていると、簡単な日常会話の段階ですでにハードルが高いのではないかと思わされてしまいしまいます。

 

付け加えると古見さんは人一倍頭が良いうえに、美少女です。

太古の昔から伝えられている伝説のひとつ「美人は性格が悪い。高飛車」という先入観も手伝って、さらに彼女の周りからは人が遠のいてゆきます。

 

しかし、ここで断っておきたい事が一点あります。眉目秀麗な古見さんですが、けっして、その事で嫉妬されたり、嫌われたりしているというわけではありません。

むしろ、周囲からは羨望の眼差しを受けており、周囲から孤立しているというよりも、周囲の人間が意識しすぎて、近づきがたい印象を持ってしまっているという状況です。さらに、始末が悪い事に、古見さん自体が、自分が「頭が良くて美人」という自覚が欠片もないという事です。

 

ここでお気づきになられたかとは思うのですが、そうなのです古見さんは「いい子」なんです。それもいい子すぎて、世の中からずれるレベルの良い子なのです。さらに、付け加えれば、かなりの天然です。この辺りを自覚して、うまく前に出してゆけば、かなり恋愛も友人関係も自分に有利な方向に運べるのではと思いますが、その辺を自覚する事も、利用する事も古見さんにはできません。逆に、利用できてしまえば、古見さんではなくなってしまうのです。

 

そして、そんな古見さんの前に一人の男の子が現れます。

名前は、只野仁人(ひとひと)君。只野君の特徴を一言で表すとするのならば、「普通」です。試験を受ければ全教科が学年平均と一致、身長体重も全国平均と一致。まさに、探そうとしても、なかなか出会えないレベルの普通です。

高校入学時の彼の目標は、「目立たず無難に高校生活を過ごす」という物だったのですが、普通すぎるがゆえに彼が持っている能力が、それを許しませんでした。普通な只野君が持つ能力とは、他者への共感能力と洞察力です。

 

その能力のお陰で、只野君は、古見さんが実は、極度の人見知りで話下手なよい子だという事に気が付いたのです。そして、話下手の彼女の為に、二人きりの教室で、黒板を使って筆談をします。古見さんの溜まっていた思いが堰を切ったようにあふれ出し、いつの間にか、黒板は二人の言葉で埋め尽くされました。恐らく、このシーンは、この漫画全編を通した中でも、見せ場の一つと言えるのではないでしょうか。

 

 

そして只野君は、古見さんの願いが「友達100人つくる」事だと知り、「僕が一人目の友達になるし、残り99人も手伝います」と板書します。

 

一瞬間を置き、「よろしくお願いします」と板書して、顔を真っ赤にして逃げてゆく古見さん。

 

………なんじゃ、こりゃあ。

 

………おい、ちょっと待て。

 

告白しているのと一緒でしょ!

………でも、いいよ。おじさん、こういうの大好き。

 

 

結局、ふたりの間の理解は、この時点では、「よき友達」であって、それ以上でも、それ以下でもないんですよね。まぁ、読んでいると、只野君の男子高校生的な消極的下心や、古見さんの乙女的なドキドキ感は、この時点でもわかるんですが、それは、あくまで表に出てきていない部分の話であって、そんな本人達も意識していない奥底の部分が、これから増えてゆくお友達との関わりの中ではっきりしてゆくに従い、相手への想いも変わってゆくわけですが、この友情から愛情へと変化してゆく過程が、またいいんです。

 

さらに、この只野君が、なかなか良い味を出しているんですよね。まず、古典ラブコメ物で、男の子が絶対持っていなければならない条件を、ちゃんと網羅しているんです。それは、「自分に対する好意には徹底的に鈍感」という事です。でも、ただ、鈍感なだけでは話が進みません。「自分以外の事には繊細」「まわりの人の為に一生懸命」という条件です。実社会だったら、「どこにこんな人間いるんだよ」と突っ込みを入れたくなるような人材です。(自意識過剰に恋愛に関する思い込みが強くて、自分が傷つけられたという事には敏感だけど、他人を傷つけたかどうかには無頓着。他人の事にかこつけて、自分の欲望を叶えようとする。只野君とは正反対の方は、めちゃくちゃ多いですが。多いというか、私を初めてとして、人間のスタンダードなんて、そんな感じなのかもしれません)

 

 

只野君の通う学校は、とても個性的な人が集まる学校ですので、只野君は若干、周りから軽んじられている事は否めません。しかし、古見さんには、そんな事は関係ありません、物語が進むにつれ、古見さんの中で、只野君との関係は、かけがえのない物へと変わってゆきます。

 

実際、個性的なクラスメイトに比べると、只野君にはこれといった特徴もなければ、容姿が良いわけでもありません。しかし、只野君は、目の前の人を肩書や他人の噂話で一括りにしません。「その人間が何者なのか」という事を自分の目で見て、「その人間」そのものに対して話しかけます。だから、相手は、他の誰でもない自分自身としての答えを返す事ができます。

 

学校の中では、「普通」「取柄がない人」扱いされている只野君ですが、彼が存在する事で、確実にクラスの人間は、古見さんとの距離を縮め、クラスメイトの関係も深まってゆきます。古見さんにしてみれば、15年間できなかった事が、只野君の存在によって、達成されている事になります。これはすでに特技と言って、差し支えないのではないでしょうか?

…っと言うより、彼のヒューマンスキルは、高校生レベルを遥かに凌駕していますし、社会人でも、あそこまでコミにケーション能力が卓越している人間はいないのではないでしょう。只野君を見ていると、「普通」という言葉や、「取柄がない」という言葉で、人をカテゴライズする事が、どれだけ私達の目を見えなくしているのかという事を考えさせられてしまいます。

 

やがて、物語が進む中で、クラスメイト達も、古見さんをサポートしょうとする只野君を通して、古見さんの事も只野君の事も理解してゆき、古見さんと只野君も、クラスメイト達を理解してゆきます。最初は古見さんと只野君二人だけの人間関係が「友達100人」を目指して、その繋がりは大きく深く広がってゆきます。

 

この物語の他の登場人物達も個性的な人たちなのですが、基本的に悪人は出てきません。物語の印象としては「個性的で優しい人たちの中で、自分の事をしっかり見て理解しようとしてくれる男の子と一緒に、自分を開花させてゆく人見知りの強い女の子の話」という感じでしょうか。また、そうした過程が、コミカルに、とても暖かく描かれている点は、とても好感が持てます。

 

こちらの漫画は、少年サンデー連載との事ですが、こうしたじらしにじらすラブコメは、タッチの時代からの、サンデーの十八番と言えるのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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Author:manga2525
漫画、映画、アニメ、ドラマ大好きです。
すっかりメディアにはまり、きっと、その筋の業界の方には、
私はなかなか良いお客さんなのだと思います。
でも、いいんです。よくよく分かっている事ですので、…というわけで、一人でテレビや本みてほくそ笑んでいるのもなんなので、人前で語ってみようと思い始めたブログです。

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