YASHA

こちらは吉田秋生先生の作品です。

この方は、本当に名作といわれる作品を、世に送り出していますよね。

有名なところで言えば、「カルフォルニア物語」「バナナフィッシュ」や「吉祥天女」なんかも有名ですね。今回の「YASHA」は、先に挙げた三つに比べると、比較的最近の作品といえるでしょう。

 

ストーリーはサイエンスミステリーのジャンルにはいるのだと思います。

ちょこちょこ見どころなどを書きたいのですが、この作品が、驚く程、上手く書けていて、いくつも伏線を生み出しながら、話を展開させつづけてゆくんですが、終盤に従って、きれいに伏線を回収してゆくんですよ。

 

そのテンポが本当に「上手い」

例えて言うのならば、全く、つなぎ目が見つけられない寄せ木細工とでもいうのでしょうか。水に流されるように話が進み、ある程度の所までゆくと、進みながら、均等に伏線が溶けるように消えてゆくんですよ。

 

しばしば色々な作品で見られる、伏線を回収しよとした段階での突飛さというか、強引さというのが無いんですよね。主人公の心の動きや、それに伴う登場人物のリアクションの中で、しぜんと伏線が回収されてゆくんです。この技術は、現在、ストーリーテラーを目指す人も、一度、読んでおいた方が良いかもしれないなと、素直に感じました。

 

話が少し脱線してしまいましたが、上に書いたように、この物語のパーツが綺麗に連動しているので、ある場面の面白さを語ろうとすると、どうしても、他のストーリに触れなければならなくなる場合がでてきてしまうので、そんな事を繰り返していると、単なるネタバレサイトになりそうな気がして、ちょっと不安になってしまいます。

 

仕方がないので、これから読みたいという人の楽しみを奪わない範囲でご紹介してゆきたいと思います。

 

主人公の静は、沖縄で母親と二人で暮らす小学生です。静は、数か月に一度、定期的に病院で検査を受け、病気が発症したりしていないかを確認します。そして、健康体である事が分かると、そのまま沖縄に帰ってしまいます。

 

そして、島でお祭りがあった日、静の父親を思しき人間が島を訪れ、静を奪い返そうとします。もみ合うなかで、母が命を落とすことになり、結局、静は沖縄から出てゆく事になります。

 

それから数年後、静は、東京で、沖縄での幼馴染の十市に再会します。その時、静は18歳にして天才科学者となり、産業スパイから身柄を狙われ、ボディガードをつけられるような立場になっていました。静が日本に来たのも、所属している製薬会社から、日本の大学の研究所と業務提携として、研究の協力をするためというのが目的でした。

 

話が進むうちに、静は自分の生まれた背景を知り、大きな陰謀に巻き込まれてゆく事になります。そんな経緯の中で、悪性ウィルスが広まり、日本がスラム化してしまったりしてしまいます。そんな状況の中で、静は、どうやって、自分と友たちの命を守るのか…。

 

大事な所を省いて、大筋だけ話したので、かなり「とんでも話」に聞こえるんですけど、これが読んでみると、それぞれの設定のディテイルが綿密に組まれていて、登場人物の心の機微も細かく、さらに、本当に伏線が張られまくているので、ちょっと現実離れしたような設定でも、「ああ、あれはこういう意味だったのか」と納得できてしまうので、そのまま受け入れて引き込まれちゃうんですよね。さらに、最後が、本当に、きれいにまとめられているので、長い作品でも、読後感が凄くいいんですよ。

 

短編を書く場合は、計算して纏めるというのは、ある程度の技術があれば、そこそこ出来ると思うんですよ。短い分、設定が甘くても、読んでいる人が疑問を持つ前に物語が終わってしまったりもしますしね。

 

逆に、長編なんかを書く時は、人によってはダラダラを書き続けて、最後をまとめて終わらせちゃえば、読者からしたら、最初の方を、よく思い出せなくて、そのまま読了して、最後のシーンが気に入れば「良」となるなんて場合もあると思うんですよ。

 

でも、長編に耐えうる設定を作って、短編なみに登場人物を動かし、さらに、幾重にも散りばめられた伏線を、そつなく回収して、物語に破綻を起こさずに終結させるというのは、相当な技術と根気がなければ、できない事なんじゃないかなと思うんですよ。

 

同じ大風呂敷を広げても、単なる「ベタベタとんでも話」になるか「名作」になるかどうかの境目は、ストーリーテラーの腕と根気なのだなと思い知らされる作品です。興味のある方は、私が書いた「とんでも粗筋」が、作品になった時に、どれだけパワーにある「名作」になるのかを、是非、その目で確かめてください。


さらに、付け加えると、この作品に一環して流れているテーマの一つが、美青年に対する耽美のような気がします。


「YASHA」に限らず、また、対象が異性同性に関わらず、吉田秋生さんの作品は読んでいると、「人が誰かの美しさに惹かれていく」という現象を大事にしている気がします。たまに、他の漫画では「外見よりも中身を重視して云云かんぬん」なんて内容が書かれている事はありますが、吉田秋生先生の作品に関しては、そんな事はどこ吹く風、「美しくなければ、生きている意味なんかないんだ」という、名作「ハ〇ルの動く〇」のハウ〇の名セリフのような勢いで、登場人物の美しさを全面に押し出してきます。


考えてみれば、吉田秋生先生が特に活躍されていた頃は、確か、魔夜峰雄先生や山岸涼子先生の「日出ずる所の天使」なんかも連載されていたような気がします。(私のあやふやな記憶による認識です。ずれていたらごめんなさい)当時は、ボーイズラブという言葉こそありませんでしたが、その勢いは現在のボーイズラブに繋がる、まさに、BL黎明期といえる頃なのかもしれません。


そんな時代も関係しているのか、吉田秋生先生の個人的な好みなのか、作品のそこらかしこに美しい青年に対する溢れんばかりの愛情を感じます。作品を読んでいて、この人は、本当に、綺麗な男の子が好きなのだなと納得させられてしまいます。その辺に注目して見てみるのも、楽しいかもしれませんね。

 

最後に吉田秋生先生の絵の事なんですが、個人的に、どうしても疑問を感じてしまう事があって…。初期の作品「カルフォルニア物語」と、今回、ご紹介した「YASHA」なんですけれど、絵柄が変わりすぎなんですよね。

 

 

いや、もう、上達したとかそういうレベルじゃなくて、ほとんど別物みたいな変わり方です。「この期間に何があったんですか?吉田さん!」と聞いてみたい欲求にかられますが、「まぁ、日々成長してるって事なんだろうな」と一人納得して、矛を収めるついこのごろです。

 

 


町田君の世界

こちらの作品、見本の画像を見て頂けると分かると思うのですが、主人公はメガネ君です。

見るからに頭が良さそうです。しかし、哀しい事ですが、彼は勉強が苦手です。メガネをしているのに勉強ができないという、漫画界始まって以来こんな皮肉な十字架を背負わされたのは野比のび太か、この作品の主人公、町田君くらいのものでしょう。

 

実際、落ち着き払った態度を見ていると、漫画なので、下手をしたら博士号を持っていたり、〇ックスフォード大学とか卒業しているなんて凄い設定でもありそうな雰囲気は醸し出していますが、町田君には、一切、そういう現実離れした学力はありません。

 

さらに、勉強だけではなく、運動能力も、単純な体力も秀でた所はありません。彼の能力は、全てが人並みです。いや、むしろ、人並みより、ちょい劣ります。

 

そんなテストの点数や、体力測定ではちょい劣る町田君ですが、彼の事を嫌う人はいません。彼と接すると何故か人は、少し幸せな気分になり、そして、いつもより、少しだけ自分の事が好きになれるからです。

しかし、それは町田君が苦手な事が多すぎて、見ている人が優越感に浸れるとかそういう意味では、けっしてありません。

 

町田君は、勉強で良い点を取るよりも、スポーツで優秀な成績を収める事以上に、人間が好きなのです。他人が喜んでいる事がとても喜ばしく、他人が辛そうにしているのが、とてつもなく辛いのです。また、彼は人に親切にしようと思って、親切に接している分けではなく、「そうなのだから」「そうしている」ただそれだけの理由しかありません。そして、その事が尚更に、町田君のまわりに人を集めるのです。

 

でも、こんないい人なので、結構、勘違いしてしまう女の子はいます。わりとそんな風に、辺りかまわず親切にして、女の子はその気になっても、町田君自体は全く気付かないので、女の子は、余計振り回されます。「他人の気持ちには繊細でも、自分に対する好意にだけは鈍感」という古典ラブコメには無くてはならない人材です。

町田君本人は、「自分の事を好きになる異性はいない」という大前提の中で、全ての思考を進めているので、女の子が、かなり分かりやすい意思表示をしたとしても、毛ほどにも気づきません。それどころか「自分に得意な事なんてあるのか?」と悩んでいます。

 

正直、ちょっと腹が立ってきます。

 

「すべての人が笑顔であって欲しい」

そんな事を本気で考えてしまえ、かつ、身近な人間が違和感なく受け入れてしまう…。

恋愛話を聞いても、「俺は恋ってしたことあるのかな?」などと言ってしまう…。

町田君とはそういう男の子なのです。

 

 

しかし、そんな町田君の気持ちに変化があらわれます。

「誰かに幸になって欲しい」「誰かに笑顔になって欲しい」と思うばかりだった町田君が、「○○が欲しい」「自分がよく思われたい」と思い始めます。

 

生まれて初めて感じる恋に対する動揺。

身体の中から、生まれてくる、他の誰かを挟まない自分と相手だけの気持ち。

少しずつ変わってゆく町田君。

でも、やっぱり、町田君は町田君だと読んでいる私達が安心してしまう。

この漫画を最後まで読み終え、気が付くと、なんだか、私も町田君が好きになっていました。これは、そういう物語なのだと思います。

 

 

 

 

 


高台家の人々

こちらは、ちょっと以前に映画化された作品ですね。映画自体は見ていないのですが、その時の主演は綾瀬はるかさんだったように記憶しております。

 

作者の森本梢子先生は、「アシガール」もお書きになっているんですね。どちらの作品も、とてもテンポが良くて、絵自体がとても面白いので、映像化に向いている作品というのはこういうタイプの物をいうのかもしれません。

 

この「高台家の人々」ですが、主人公は平野木絵さんという、作品の言葉を借りると「ごくごく普通のどちらかとゆうと地味めの29歳独身」の女性です。正直、こういった作品の「ごくごく普通の…」という言葉で表現されるキャラクターというのは、だいたい普通じゃないように思えます。

 

勿論、こちらの木絵ちゃんもその例にもれず、いわゆる「見かけだけ普通」の女の子と言えます。彼女には、少々、変わった所があります。それは、「妄想癖」です。

 

妄想といっても、普通の妄想ではありません。彼女の妄想のクオリティと斬新さは、かなりのものでして、若干、社会生活に支障をきたすレベルです。しかし、こうした才能は、それを表現できる技術や才能と結びついて、世の中に認証させる事が出来るとも言えるでしょう。妄想のみの才能となると「誰にも見つけられない天才」や「人に見られると枯れてしまう、世界一美しい花」みたいな部類に属してしまいます。

 

まぁ、ある意味、世の中の表現者と呼ばれる人々の多くは、発想と表現力の間で足掻いているのでしょうが、そういった人々の中にも、「そういた足掻きを吹き飛ばして、頭の中を誰かに見せられるとしたら、それは、どれだけ凄い作品を披露する事ができるのでしょうか?」こんな疑問を持った事のある人は少なくないのではないでしょうか。

 

また、それを見る事が出来る人にとっては、それはどれだけ魅力的なストーリーとして映るのでしょうか?

 

そして、そんな世界を作り出せる相手は、どれだけ魅力的にうつるでしょう?

 

さらに、そんな人と出会って、恋に落ちずにいられのでしょうか?

 

そんな感じの恋愛物が、「高台家の人々」なのです。

 

木絵ちゃんの彼氏の高台君は、イギリス帰りのエリートサラリーマンで、おばあちゃんは貴族だったりします。こんな人間、現代にいるのかと言いたくなるような、落ち度のないイケメンです。そんな彼にも秘密がありまして、高台君は人の心が読めるという能力を生まれつき、持っておりまして、また、この能力は遺伝するらしく、高台君のお祖母ちゃん、弟、妹さんは、高台君と同じように人の心が読む事ができます。

 

だから、木絵ちゃんの妄想がヒットして、恋に落ちた高台君が、お家に木絵ちゃんを連れて行った時などは、木絵ちゃんの妄想が笑いのツボにはまり、兄弟全員、笑いを堪えるのに必死という、何とも失礼な状態でした。

 

ただ、話はそれだけではありません。

 

確かに、最初の方の、漫画の見どころは、木絵ちゃんの妄想と、高台君の押し殺し笑いなのですが、高台君が木絵ちゃんを兄弟に紹介した辺りから、少しテイストが変わってきます。

 

高台家以外の人間が、兄弟の中に入ってきた事で、高台家の人々の孤独に、すこしずつ焦点があてられてゆくようになります。

 

考えてみると、彼等が孤独を感じるのも無理からぬ事のように思えます。誰かに何かを秘密にしつづけなければならないというのは、それだけで、とても精神的なエネルギーを費やします。そして、それは、その秘密が、共感される事が難しい特異な経験であったり、倫理観にひっかかるような内容の場合、よけいに心労は強くなります。

 

高台家のような、「人の心が読める」という秘密になりますと、まず、特殊すぎて共感してくれるような人間など「自称宇宙人の電波君」くらいのものでしょう。下手にそんな事を口にしてしまえば、いいところ「電波君」、さらに踏み込めば、単なる「危ない人」扱いです。

 

また、万が一、「人の心が読める」という事を信用してもらえたとしても、内容が内容なので、今度は、人間関係その物を破戒してしまう恐れが出てきます。

 

結局、高台君兄弟は、イケメン揃いであっても、「信じられる誰かに自分を開示したい」「受け入れられない事が怖い」この相反する恐怖と欲望の中で、常に「誰にも語らない」という選択を繰り返してきた事になります。

 

そんな状況からか、高台家の兄弟は、ちょっと世の中を斜に構えてみていたり、めちゃくちゃ人に対して臆病だったりとして、捉えようによっては、皆様、どこかしらに残念な所が見え隠れするイケメンだったりします。また、そういう所が漫画に出てくると、高台家の面々が、読んでいる私達にとっても、身近な存在に感じられてきます。

 

そして、一番の見どころは、そうした高台家の人達が、木絵ちゃんの心の中を見ながら接してゆく内に、彼女を信用できるようなり、すこしずつ変わってゆく事なのかなというきがします。

 

勿論、木絵ちゃんが主人公だとは思うんですが、木絵ちゃんという、家族以外の誰かと深く接する事で、高台家全体に波及してゆく、心の変化を主軸にしている物語でもあるのだなという感想です。

 

 

逆に言えば、「人に受け入れられるかどうか分からない不安」や「人に伝えたいという欲望」は、結局、私達にとって、とても身近で本質的なものあって、特に超能力者だからこその悩みという分けではありませんので、読んでいる私達も、共感する事ができるんですよね。

 

さらに、付け加えると、内容が内容なので、どうしてもこの手の内容をテーマにすると、物語の雰囲気自体が重くなりがちなのですが、ここで木絵ちゃんの妄想と、それをテレパシーという他人が入り込めないシチュエーションで覗き見ているという点が、良い意味で物語のテンションを沈ませる事なく一定に保っているのだなと感心させられました。

 

特に木絵ちゃんの妄想は、気持ちがくさくさした時とか、自粛でやる事がない時などに読み直すと、助けられますね。

 

 

 

 


プロフィール

manga2525

Author:manga2525
漫画、映画、アニメ、ドラマ大好きです。
すっかりメディアにはまり、きっと、その筋の業界の方には、
私はなかなか良いお客さんなのだと思います。
でも、いいんです。よくよく分かっている事ですので、…というわけで、一人でテレビや本みてほくそ笑んでいるのもなんなので、人前で語ってみようと思い始めたブログです。

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