なのはな

こちらも萩尾望都先生の作品です。

内容は、東日本震災、おもに福島原発をテーマにした短編集となります。収録されている短編は、全てファンタジーです。いや、ファンタジーというよりも、寓話と言ってよいかもしれません。

 

収録されている短編は、全部で6

●なのはな

●プルート夫人

●雨の夜―ウラノス伯爵―

●サロメ20XX

●なのはなー(「幻想」銀河鉄道の夜)

●福島ドライブ

となっています。

 

「なのはな」

コミックスのタイトルにもなっている「なのはな」です。他にも、もう一遍、「なのはな」というタイトルの作品があります。内容の違いとしては、現代を舞台とした漫画で、セリフのやり取りのある通常の形式で書かれている物を「なのはな」と名付けているように思えます。

主人公は、東日本震災後の福島県に住む小学生の女の子、ナホちゃんです。ナホちゃんは、震災の津波でお祖母ちゃんを失っています。

 

ナホちゃん家族は生き残り、今までとは違う場所に住んでいますが、お爺ちゃんは、お祖母ちゃんの死を受け入れる事が出来ず。未だに、お祖母ちゃんの帰りを待っています。

 

しかし、お爺ちゃんだけではなく、誰もがお祖母ちゃんが死んだ事を受け入れられず、大切な人が突然消えてしまった空虚感を胸の中で押し殺しながら、毎日を暮らしていました。

 

そんな中、ナホちゃんは不思議な夢を繰り返し見るようになりました。

夢の中のナホは、チェルノブイリにいて、死んだはずのお祖母ちゃんを必死に助けようとしています。そして、そこにはお祖母ちゃん以外にも、見知らぬ女の子が、人形を抱いて立っていました。

 

ある日、お祖母ちゃんのお友達の藤川さんが遊びに来てくれました。そこでお祖母ちゃんがチェルノブイリ原発の被害を受けたウクライナの子供達に、人形を作ってあげていた事を知ります。人形を渡された子供達の写真を見せてもらい、ナホちゃんは驚きました。そこには、夢で見た女の子が写っており、女の子が持っていた人形も写っていたからです。そして、ナホちゃんは、夢の中で女の子と話をします…。

 

「プルート夫人」

近世ヨーロッパの法廷。居並ぶ紳士淑女、知識人たち。彼等は、ある者の真偽を確かめる為に集められた。彼女の名は「プルート夫人」その眼差しを向けられた者は恋に落ち、声を聴いた者は夜も眠れない。

 

絶対の力、絶世の美貌、彼女は世界中の人間に富みを与え、世界中の人間に永遠の喜びを遣わす。「真偽」を問うという法廷の役割も忘れ、居並ぶ人々は、プルート夫人の魅力に酔いしれ、われ先に彼女の恩恵を受けようと走り寄る。

 

やがて、法廷でプルートの影響力(核廃棄物の放射線)が消えるまでに10万年以上かかるという情報が現れ、法廷内の人間がどよめきだつ。しかし、彼女の恩恵を諦められず、迷っている間に人間たちの体が、放射線の影響で崩れ腐ってゆく。

 

「雨の夜―ウラノス伯爵―」

何処かで開催されたセレブたちのサロン。新しい客が招かれる。彼の名前はウラノス伯爵。彼がサロンを訪れる事を知り、一人のお客が叫びだす。「私はいや」「かれにあいたくない」すると、他の客が「いずれは、会わなければならないんでしょう?」と言う。参加者の期待と不安の入り混じる中、最後の客人、ウラノス伯爵が部屋の扉を開ける。

 

ウラノス伯爵を歓迎する者、毛嫌いする者、抹殺しようとする者。同じ部屋に集った人々は、ウラノス伯爵に、各々、違った感情を抱く。しかし、共通している点は、誰もが彼を見過ごす事はできない。皆が彼の魅力に惹きつけられる。特に彼の富をもたらす力は絶大で、だれしもが彼と付き合う事のリスクを忘れてしまう程だった。

 

豊かな生活とそれを得る事のリスクを目の当たりにしながらも、豊かさを捨てようとする者もいれば、いずれ来るリスクの回収を忘れようとする者、考える事を辞めてしまう者、放射能という夢の力を目の前に戸惑いながらも、結局は、何も決められず、今までの生活を繰り返す事しかできない人間の性を描いた短編です。

 

「サロメ20XX年」

新約聖書をオスカー=ワイルドが戯曲化した有名な作品「サロメ」ですが、それを舞台を現代のナイトクラブ、サロメをナイトクラブで働くショーガールとして表現。上の二つの物語と同じ、核反応物質の擬人化ですが、面白さと軽い寒気を感じる良い作品です。

「なのはな(「幻想」銀河鉄道の夜)」

現代版では福島県の話が多い、作品集では珍しく岩手県のお話です。

津波と震災で祖母を亡くした女の子が、夢の中で乗った銀河鉄道で祖母と再会。逝く者と残された者との命のリレーを思わせる作品です。

 

「福島ドライブ」

セリフはありません。甲斐よしひろさんの「立川ドライブ」の歌詞とともに、絵だけの駒が続きます。これをどう捉えるかは、読んだ人によると思いますが、私は、被災地に住んでいる方々だけではなく、被災地を故郷として都会で頑張っている人たちの、故郷の惨状を知った悲しさや孤独感、故郷が消えてしまう事への恐れのような物を感じました。他の方々は、どのように感じられるのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

大きな災害に見舞われると、人は、その意味を考えます。何故、こんな目にあったのか、私達の何が間違っていたのか、そして、これから私達はどう生きるべきなのか。恐らく、それらの答えは、その時代に生きた人の数だけあるのだと思います

 

しかし、そうした記憶も、いつかは風化します。直接の被害者でもなければ、毎日、耳に入るニュースの数々に、その時、考えた事や、過去の痛みなどは、ゆっくりと薄らいでいってしまいます。

 

記憶が薄らぐ事自体は、けっして悪い事ではありません。むしろ、健康的な事だと言ってもいいかもしれません。しかし、生きていれば、どうしても、忘れてはいけない事、忘れたくない事というものはでてきます。そんな時、忘れない工夫が必要になってくるのです。

 

歴史の年表で後世に伝えられる事に限りがあります。その時、その場で生きていた人が何を考えていたのか、未来にどんな不安を抱いていたのかという事までも、伝える事は難しいかもしれません。そんな場合に、人間が生み出した忘れない工夫の一つが「寓話」なのかもしれません。

 

いつか、遥か未来、全ての記録が消え、人々が具体的な事実を忘れた頃になっても、誰かが、この本を読んで、便利さと引き換えに、人は何を失ってゆくのか。生きてゆく為に「便利である事」と「必要な事」そして「失ってはならない事」が、それぞれ何なのかといった事を、再び、考える事ができれば素晴らしい事だと思います。


シグルイ

原作は南条範夫先生、作画は「覚悟のすすめ」で有名な山口貴由先生です。

 

南条範夫先生が書かれた原作は「駿河城御前試合」という時代小説で、題名の駿河城御前試合に出る十一組の因縁ある対戦者同志の物語の短編集で、「シグルイ」はその中の「無明逆流がれ」をもとに膨らませた作品です。

 

原作の駿河城御前試合を私は読んではいないのですが、35ページ程の短編とのことなので、その内容は、かなり作画の山口貴由先生の創作が加えられていると思われます。

しかし、私が読んで気に入ったのは、山口貴由先生の手のはいった「シグルイ」なので、特に問題はございません。

 

あらすじは、そんなに複雑ではなく、駿河城御前試合で行われる、十一組の内のひとつの対戦を取り上げ、その対戦者同志の出会いから、対戦にいたるまでの経緯を描いてゆくという構成です。

ここで、ひとつ注釈なのですが、この駿河城御前試合というのは色々な経緯がありまして、大前提として、ルールが真剣での命のやり取りということになっています。本来、木刀を使って、さらにマジ打撃ご法度な御前試合で、そんなファンキーなルールが適用された経緯も作品内で描かれているので、お読みの際は切迫した作中の世界観をお楽しみください。

 

…とにもかくにも、藩のお偉いさんも、そんな狂った試合は、ふつうの人間にはさせられません。しかし、その理由は、試合者の安全がどうとかいう物であろうはずがありません。本当の理由は、下手な人間を選んでしまい、無様な試合をやられた日には、主催のクレイジー殿様の逆鱗にふれて、自分たちまで、お手打ちにされてしまうからというものです。

 

そんな理由から、藩のお偉いさんは、家中でも遺恨のある者同志、仇討願いが届けられている者同志等、今にも一触即発しそうな人間同志を集めて戦わせることにします。

ようは、お殿様の我儘と、藩内の火種、両方をなんとかしようとしたというのもあるのでしょう。

 

そういった経緯により、御前試合に参加する十一組、二十二人、全員が因縁浅からぬ者同士の公開泥沼大会となってしまったのです。

 

勿論「シグルイ」の主人公、藤木源之助、対戦相手、伊良子清玄も元は「虎眼流」という剣術流派の同門であり、かつては龍虎と並び称され、「どちらかが流派を継ぐことは間違いない」とまで言われた剣術家でした。

 

物語の冒頭、御前試合で二人が向かい合った時、藤木源之助は隻腕の剣士、伊良子清玄は盲目、跛足(足を引きずっている人ね)の剣士。

 

だが、次の場面で、描かれた昔の二人…。

その頃、藤木の胴着の袖からのぞいた逞しい二本の腕は、木刀をしっかりと握り、伊良子清玄は瞳に強い光を宿し、鍛え上げられた脚力で天性の俊敏さを発揮していた。

互いの技を高め合う二人が、なぜ傷だらけの体で御前試合に臨むこととなったのか…。

 

15巻という長い話ですが、退屈することなく最後まで見る事ができました。同じ場所で同じ分野を学んでいた者同士が、公衆の面前で殺し合う経緯や、二人の関係の変化、心理描写、二人を取り巻く環境の変化なんかを丹念に描いていったら、15巻くらいは平気でいってしまうのでしょうね。

 

特に見所の一つとしていえるのが、二人の師匠である岩本虎眼先生の狂い方です。漫画誌に残るいかれっぷりといってもよいのではないでしょうか。本編の中で、多くの時間、虎眼先生は心神喪失状態です。その描き方は、一見すると認知症が発症したようにも見えますが、また、一見すると全く別の状態のようにも見えます。さらに、質が悪い事に、この虎眼先生、残酷ぶりと武術の腕と欲望はそのままに自分を見失っています。その為、道場内で誰かが殺された場合は、必ず最初に疑われるのが道場主の虎眼先生という有様です。そして、この虎眼先生、常に意識が飛んでいるわけではなく、時々、冷静な状態に戻るのですが、始末の悪い事に、冷静に戻った時の方が、遥かに残酷で、狂っているという事です。この点だけでも、一読の価値はあります。

 

また、作画の山口貴由先生の絵が、少年漫画のタッチから、作品の世界が深くなってゆくにつれ劇画タッチに変わってゆくのも見物です。

山口先生は、昔、週刊チャンピオンで「覚悟のススメ」や「悟空道」などを描いていた作家さんで、その世界観やキャラに対する熱量が半端ではなく、読むうち引き込まれていったのを憶えています。

そうした想像力が良い方向で、原作に描かれていない部分の「無明逆流がれ」を組み立て、「シグルイ」という形になったのだなと、妙に納得させられてしまいます。

興味のある方は是非、ご一読ください。

 

 

 


春の夢

いいですね。泣く子も黙る24年組、天下の萩尾望都先生の作品です。

こちらは、数十年ぶりに描かれた「ポーの一族」の続編です。

萩尾望都先生は、インタヴューで、昔のような線はもう書けないという仰っておりました。確かに、少女コミック連載時の「ポーの一族」の線の細やかさとは、ちょっと違ってはいますね。人によっては、その違いに苦手意識を持つ人もいるという話も聞きますが、私の場合、読み始めこそ、不思議な感じはしましたが、すぐに慣れて、物語の中に引き込まれてゆきました。

 

私としては、萩尾望都先生の繊細な線は勿論のことなのですが、ストリーテーリングの力の方に強く惹かれておりましたので、全く問題ないんですけどね。

 

調べてみたら「ポーの一族」の連載が終了したのが、1976年、「春の夢」が連載されたのが2016年から2017年間の事なので、40年ぶりの続編という事になります。これで、同じ線が描けたら化け物です。

 

「ポーの一族」自体が古い作品なので読んだ事がない方もいらっしゃると思いますので、ちょこっと「ポーの一族」の粗筋を書きます。平たく言っちゃいますと、ヴァンパイア物ですね。

 

主人公はエドガーというヴァンパイアの少年です(作中ではヴァンパネラと呼ばれています)他のヴァンパイア物と同じように、彼等はヴァンパイアになった時点で年を取らなくなります。だから、多くの者は、ヴァンパイア同士で村をつくり住みつき、一年に一度、人をさらってお祭りのように「気」を吸ったりします。それ以外は、ほとんどの時間を寝て過ごし、主な仕事といえば、「気」を補給する為の薔薇の花を育てたりするくらいです。薔薇の「気」というのが主食で、人間の「気」はイベント食と思って頂ければ良いかと思います。

 

そういった生活に馴染めない者や、何かしらの理由で村にいられなくなったヴァンパネラは、流れ者として旅をします。時に、年齢の違うヴァンパネラ同士でチームを作るわけなのですが、その際に家族の形をとります。また、家族の形をとりながら暮らしても、一つの土地に定住する事はありません。いくら家族が怪しまれにくいとはいっても、誰も歳をとらないし、死なない家族なんていうものは、怪しすぎます。

 

もしも、人間ではないという事がばれてしまえば、杭で胸を刺されて殺されてしまいます。ヴァンパネラは、不死身ではあっても、けっして無敵ではないのです。実際、エドガー達の住んでいた村は、近くの村民によって、滅ぼされてしまいました。そんな理由もあって、エドガー達は、用心しすぎても足りないという気持ちを持ち、旅をしているのです。

 

 そんな用心深い旅を続けているエドガー達ですが、旅先の小さな港町でヴァンパネラである事が発覚してしまい、エドガー以外のヴァンパネラは、皆殺しとなってしまいました。その後、エドガーは、騒動の中で、新しい同胞となった「アラン」という少年と二人で旅をする事になります。永遠の少年のまま…。

 

「春の夢」は、その後の「エドガー」と「アラン」の話です。

ストーリーは、こんな感じです。

1944年第二世界大戦中のイギリス、ウェールズ地方、アングルシー島にいきついたエドガーとアランは、ある少女に出会います。小さな弟を連れた少女は、まるで、はぐれた小鳥のような目をしていました。道すがら見かけただけの少女なのに、何故かエドガーの心の中には、少女の事が、いつまでも引っ掛かっていました。

 

少女の名前は「ブランカ」、弟の名前は「ノア」二人は、ドイツのホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)を逃れ、兄弟二人だけでイギリスの親戚の家に身を寄せていました。もしも、ドイツが侵攻してきた時の事を考え、両親とはオランダで別れて、兄弟二人だけ親戚の助けを借り、イギリスへと逃れてきたのです。それはブランカが11歳の頃の出来事で、現在の彼女は16歳となりました。

 

当時、イギリスとドイツは戦争中でしたので、イギリスでは敵国の人間と敵視され、ドイツではユダヤ人として差別され、身の置き所もなく、頼るべき両親は安否も分からず、彼女は不安な気持ちを押し殺しながら毎日を過ごしていました。両親と再会した時まで、弟のノアを守るのが自分の役目なのだと、自分自身に言い聞かせながら、再び、両親と暮らせる事だけを希望にいきる。ブランカはそんな少女でした。

 

ひょんな事から、エドガーは彼女の家を知り、二人は家を行き来する間柄になります。エドガーがビアンカを気になるように、しだいに、ブランカもエドガーの年齢とはそぐわない洗練された身の振る舞い、落ち着き、そして、優しい気遣いに惹かれてゆくようになります。年齢にそぐわない環境で生きる事を余儀なくされた少女が見つけた、年相応の恋でした。

 

そんな中、兼ねてより、長く患っていた、ビアンカを引き取っていた親戚のオットマー氏が亡くなりました。エドガーとは別系統のヴァンパネラの一族も、オットマー氏の死に関わり、物語は一気に動き出します。

 

ラストは書きませんが、読み終わった後に、心に残る切なさと、人間としての感情を残しながらも、永遠にも近い時を生きなければならないヴァンパネラ達の哀しさを想像し、物思いに耽ってしまいました。

 

是非、エドガー達の生きる永い時間の一片を、一緒に垣間見る事ができれば嬉しく思います。

 


夏の前日

こちらの作品、納得のできるエロさを持った作品です。

美大生の青木君と、画廊に勤める藍沢さんの恋愛を描いた作品です。

基本的には、SFでもファンタジーでもなく、日常を描いているので、そんなストーリーに起伏があるわけではないのですが、「おもしろい」です。

 

起こる出来事は、日常生活の事なのですが、美大生の青木君は、年代的には揺れ動く年齢だから、一見すると相も変らぬ日常でも、本人の心の中は、常に揺れ動いて大嵐です。一方、藍沢さんの方も、年上の女性として、いまいち素直に愛情を表現しきれないもどかしさをもっていますし、その辺を細かく表現できてしまうと、恋愛青春物は一大スペクタクルになってしまうという事なのでしょうね。

 

あと、これは冒頭の言葉にも通じるのですが、とても感心させられる点があって、「夏の前日」は、とてもセックスの描写を、上手く、効果的に…、そして、真面目に使っている作品なのだという印象を受けました。

 

 

作品の主題が「思春期」「恋愛」「芸術」という点にあるので、表現内容も性表現が多くなりますが、読んでいて、嫌悪感や違和感、奇をてらうような異常性を感じさせるような表現はありません。とても納得のゆく性表現なんですよね。

 

 

「夏の前日」という作品は、性表現の場面は多いのですが、所謂、性衝動を掻き立てるのが目的の性表現とは、対極にある表現といえます。

 

例えば、ある人がある店で、とても食事をおいしそうに食べている姿があるとして、その「おいしさ」というものは、その人の主観である以上、その場面の「おいしさ」というのを知る為には、やはり、その登場人物が、「何故、その食品が好きなのか?」「何故、その時にその食品を選んだのか?」「何故、その店に入ったのか?」「その人の年齢は?」「家族はいるのか?いないのか?」「家族がいるのなら、家族の中で、何を感じているのか?」「何故、家でご飯を食べないのか?」様々な何故を解きながら、食べている人を理解した上で、目にする食事のシーンと、食事のシーンだけを切り取った場面だと、全く、感じた方が違うと思うのです。

 

どんなに精巧に描かれたとしても、「その行為」だけを切り取った描写というのは、「読んでいる本人の投影」、もしくは、「不特定多数の一般的な行為」という域を出ないのではないでしょうか。

 

勿論、こうした手法により、その動作のみをクローズアップし、性欲なり、食欲なりを描き、読者の強い衝動を高めるというやり方はありますし、そうしたやり方による名作というのも沢山あります。

 

また、こうした目的で性行為、食事といった物を描く時、必要以上の緻密なストーリーや登場人物の背景といった物は、それ程、必要がないのかもしれません。…と、いうよりも、むしろ、読者自身が自分と勝手に重ねる事を考えれば、むしろ、そうした設定などは、少なければ少ない程、良いとさえ言えます。平たく言えば、知り合いや、親のセックスは、基本的には見たくなくなるという気持ちと近い心理作用なのかもしれません。

 

しかし、一方、人物の背景やストーリー、必然性を緻密に積み上げてゆく事で完成する表現というのも、性衝動を高めるという目的には蛇足であったとしても、描かれた人物に対する強い共感と、特別視を生み出すという目的にとっては欠かせない要素のひとつと言えるでしょう。「夏の前日」で描かれる性描写は、そういった意味で、登場人物と彼らが生きている世界を描くのに必要な、「納得できるエロさ」を持った物だと感じました。

 

「夏の前日」の性描写は、とてもプライベートな雰囲気で、耳元の息遣いが聞こえてきそうな程リアルさを感じられます。時には、セックスの描写は細かくても、登場人物の想いに共感して、性衝動よりも、痛ましさや、遣る瀬無さのような感情が沸き起こってしまう場面も多々あります。おそらく、これが、「その人間の性としてセックスを描く」事と「セックスを描くに、その人間を使う」作業の違いなのでしょう。

 

本来、セックスという行為自体が、その人間の背景、生活全般、性格、精神状態、相手との関係性といった物によって左右される行為であり、一回、一晩だけの相手というのなら別ですが、関係性を感じられない人間と毎日セックスをするという事は、男、女に関わらず苦痛なのではないかと思います。また、毎日、セックスをしていて、関係性を欠片も感じる事が出来ないというのも、非現実的な状況だと言えるでしょう。

 

現在、付き合っている恋人同士であっても、時がすぎ、考え方が変わり、互いのすれ違いが多くなれば、別れる事もあるでしょう。それは、恋人同士に限らず、夫婦にだって言える事です。しかし、お互いを求め会えている間は、別れの時がくるだなんて事は想像もできません。それだけに、誰かと、求めあえていられる時間というのは、とても短い、そして、とても恵まれた時間なのだと言えるでしょう。

 

 

「夏の前日」は、性描写を、そんな人間の心の揺れ動き、そして、貴重な青春の美しい時代を表現する手段として巧みに使っているのだなという感想を素直に受けます。だから、読み終わった後、二人は、どうなったのだろうと気になってしまいます。

 

しかし、この作品は、「夏の前日」で終わりではないのですね。「夏の前日」のその後を描いた「水の色 銀の月」という作品もあるのです。

 

実際は、原作者の吉田基巳先生は「夏の前日」の続編として書かれたわけではなく、「夏の前日」の方が「水の色 銀の月」のスピンオフなのですが、どちらも、共通して、性と恋愛に関して真面目に向き合っている作品です。

 

吉田先生は、1998年に「水の色 銀の月」で「わたせせいぞう賞」を受賞され、これがデビュー作となったようです。ちなみに、受賞作の段階では、タイトルは「水と銀」だったのですが、その後、連載が続くようになり「水の色 銀の月」へと改題されたようです。

 

青木君は、その後、「水の色 銀の月」という作品の中で華海ちゃんという彼女と付き合う事になります。時系列で言えば「夏の前日」は、華海ちゃんと付き合う前の彼女とのお話です。そして、それを考えながら読むと、かなり「夏の前日」は切ないです。さらに、反対に「夏の前日」読んでから「水の色 銀の月」を読むと、これまた切なくて、胸の奥が「きゅいんきゅいん」鳴りっぱなしになります。

 

考えてみれば、20年以上前に書いた作品の、登場人物の、さらにその背景を漫画で描くという行為をなさった吉田先生ですが、読者としては、我が身を振り返りつつ「よく思い出せるな…」と感心してしまいます。

 

また、吉田先生が年齢を重ねて深みが増した所為もあるんでしょうが、「夏の前日」は、かなり「深み、切なさ、ノスタルジィ増し増し」で運ばれてきます。おっさんの私は、色々思い出してしまい、数日間は後を引きました。

 

最近、心に「きゅいんきゅいん」が足りないなと思う方は、両方とも是非、読んでみて欲しい作品です。

 

 


プロフィール

manga2525

Author:manga2525
漫画、映画、アニメ、ドラマ大好きです。
すっかりメディアにはまり、きっと、その筋の業界の方には、
私はなかなか良いお客さんなのだと思います。
でも、いいんです。よくよく分かっている事ですので、…というわけで、一人でテレビや本みてほくそ笑んでいるのもなんなので、人前で語ってみようと思い始めたブログです。

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