とんがり帽子のアトリエ

こちらの作品は、読み始めて一話目で、設定の細かさや、登場人物の衣装や家々の描写の細かさに感心させられました。特に絵は丁寧に書き込まれた絵本のようで、ミュシャを連想させられました。

 

白浜鴎先生が書かれている「エニテヴィ」という天使と悪魔をコミカルに扱っている作品を読んでいても、表現の節々に、それっぽさを感じる時があるのですが、この方は、もともとルネッサンス期の宗教画とかが好きなのか、お勉強されていた方なのかもしれませんね。

 

登場人物の表情がとても豊かで、動きも多いので、読んでいて飽きません。特にキーフリー先生、恰好良すぎます。男が惚れます。

 

そして、何よりも、惹きつけられたのが、「魔法の設定」の細かさです。そもそも「魔法」「超能力」「幽霊」というのは、ある意味、伝家の宝刀、ファンタジー三種の神器なのではないかと私は思っております。

 

その理由は、「ファンタジーに無くてはならない要素である」という意味ではなく。

「物語の出来不出来は別にして、言葉自体に、説明なしで受け入れさせてしまう説得力がある」という意味です。

 

本来ならば、「魔法」「呪文」などの言葉を使ってしまえば、それだけでひとまずは通用してしまう剣と魔法の世界。この説得力のある言葉「魔法」の設定を、とても具体的に書いてあるところが読んでいて楽しいです。

 

逆に言えば、一言で通用してしまう程に知られた世界観であるだけに、そこを漫然と使わず、自分なりにどう作りこむかで、その物語と他の物語に差が生まれると言えてしまう点もあるのかもしれません。

 

この辺は、色々な捉え方があるので、かなり、人の好みに分かれる所なのでしょう。ちなみに、私は、こういう所をきちっと作りこんでいる、「魔法系」の物語には好感を抱いてしまいます。

 

また、この魔法の設定が、若干、SEのお仕事と中世ヨーロッパの職工を混ぜたような感じで、古式ゆかしい感じと、異国感、そして、現代の私達が読んだ時の想像しやすさが上手く混ざっていて、白浜鴎先生という方は、こういう面で、とてもセンスの冴えが際立つ方なんだなと思わされます。

 

お話の世界では、「魔法」は人の生活の中に、当たり前のように馴染んでおり、それこそトイレに魔法が使われていたり、夜中の道路の誘導灯代わりに魔法が使われています。私達の世界でいえば、電気?もしくは、インターネット?みたいな感じです。

 

一方で誰もが「魔法」の使い方を知っているかというと、それはまた別の話で、世の中は、魔法に対して「知らざる者」と「魔法使い」に分けられ、一般的には、「魔法使い」は生まれつき選ばれた才能のある人間にしかなれないという認識が広まっている世界です。

 

しかし、本当の所は、違ったのです。魔法は、やり方が分かり、道具さえ揃えば、誰でも使えてしまう技術だったのです。はるか昔、誰もが魔法を使えていた時代に、いくつもの大きな争いや大惨事を起こしてしまった事を教訓に、世界中の魔法使いは、魔法使いと一部の人間を除き、世界中の人々から魔法に関する記憶を消し、記憶を消された人間を「知らざる者」としました。

 

そして、大惨事を起こしそうな魔法、悲劇を生みそうな魔法を禁止魔法として封じます。また、魔法使いが魔法を行う際には、「知らざる者」に見られてはならないというきまりまでつくりました。

 

 

一見すると、大きな力を故意に独占しているようにしか見えない、まるでア〇リカが口にする「核拡散防止条約」のような成り行きです。現代でも、核兵器を破棄する国、作り続ける国、様々な国があり、まとまっているとは言い切れない状態が続いています。それは、魔法の世界も同じなのでしょう。過去に、大きな悲劇があったとはいえ、世界を相手にしたハッタリに無理が出ないわけがありません。

 

こういうやり方に対して反感を持つ魔法使いも存在していて、反対派の皆さんは、禁止魔法を広めよう、使わせようとします。そんな諍いの犠牲になり、二人ぐらしのお母さんと一緒に暮らせなくなってしまったのが、主人公の「ココちゃん」です。

 

しかし、「犠牲になった」とは言っても、別に、年がら年中、後悔したり、哀しんだりしているわけではありません。

 

「ココちゃん」は、お母さんにかけられた魔法を解く為に、「持たざる者」なのに、魔法使いの弟子となります。そして、「アトリエ」と呼ばれる魔法使いの家で住み込みをしながら勉強します。そこで色々な魔法使いや、魔法使いの弟子達と出会います。また、この「アトリエ」の雰囲気が、やはり、何処か中世ルネッサンス期の職工をモデルにしたような趣があって良いんですよね。

 

アトリエに入ったココは、母親がいなくなった不安と哀しさに耐えながらも、新しい世界に触れる慶びを感じながら成長してゆきます。さらに、主人公「ココちゃん」だけではなく、物語の中には子供達が出てきます。

 

彼らは、それぞれ違った課題というか生きにくさのような物を持っていて、それが魔法を勉強し、互いに影響しあう事で、少しずつ、でも確実に解決されてゆきます。日々成長してゆく彼らの姿は、見ていて、心が癒されます。綺麗なデザインや、設定を書き込まれた世界観も読みごたえがありますが、成長物語としのストーリーも、この作品の見どころと言えるでしょう。

 

物語はまだ完結してはおりませんが、作品の中にいくつもの伏線がはられていて、その回収に、主人公「ココちゃん達」の成長…。とても楽しみの多い作品です。

 

 

坂道のアポロン

原作者は小玉ユキ先生という方です。こちらの作品は、アニメ化も映画化もされた事のある作品ですね。私はアニメも映画も、見た事が無かったのですが、名前は聞いた事はあったので、今回、読んでみました。この作品自体は、別にファンタジーではないのですが、読んでいると、何故か不思議な夢の中にでもいるような妙な気持ちにさせられる所のある漫画です。

 

ふるい分けをすると音楽漫画、ジャズ漫画という区分けができるのでしょうが、ジャズの事を中心に据えているというよりも、ジャズを切掛けに出会った若者たちの人生を書き上げた作品という印象です。

 

しかも、その一人一人の話や、それぞれの間での気持ちの交錯が細かく書き込まれているんです。読んでいて切ないこと、切ない事…。なんで「坂道のアポロン」の登場人物たちは、こんなにも繊細で不器用で、どいつもこいつも相手に対して諦めるってことをしないんでしょうかね?なんか、どうしようもなくじれったくて、どうしようもなく応援したくなってしまうそんな人たちばかりの物語です。

 

物語は、西見君が九州の学校に転校してくる所から始まります。それらしいセリフによる説明はありませんのではっきりとは言えませんが、漫画の中にも、それらしい描写があり、小玉ユキ先生のご出身が長崎県という事からみて、恐らく、舞台が長崎県なのだと、私は勝手に思っています。

 

西見君は、家庭の事情で親戚のお家に住んでいます。自分の生い立ちや、置かれた状況をどう捉えていいのか、また、自分がこれからどう生きていいのかが分からいまま毎日を過ごしていました。そんな経緯もあってか、西見君には、読者の私から見て、若干、「世の中を斜に構えて見て、他人とも必要以上に距離をとってしまう」そんな印象を受けます。…っというか、このキャラ設定時点で、かなり私のポイントは高くなりました。私、教室の端っこの窓際の席で校庭を見ているような男の子キャラは、基本的には好きです。お陰で、冒頭から、難なく引き込まれてしまいました。

 

やがて、西見君は、クラスの中で危険人物と言われる川渕君と出会う事になります。勿論、同じクラスなので、何もしなくても出会う事になるのですが、単なるクラスメートというだけでは、なかなか、深く知り合うまでには行きにくかったりします。ましてや、川渕君は、クラス中から警戒されている子です。切掛けもなしに、仲良くなるというのも難しい話です。…と言う事で、ここで一悶着起こります。あえて何が起こるかは書きませんが、なかなかに、青年らしい、若く美しいエピソードです。

 

しかし、ここで問題が一つあります。西見君は、転校してきて恋をしてしまうのですが、その相手が、親友、川渕君の幼馴染という事になってしまいます。ここで一つ三角関係が生まれます。まぁ古来よりの純愛物でしたら、これで十分、ご飯三倍、終結5本前くらいまで引っ張られる所なのでしょうが、「坂道のアポロン」は、さらに恋敵が現れます。最終的には、何角関係まで広げるのだろうか、収束に向かえるのだとうかを心配される方もいらっしゃるかもしれませんが、広げた風呂敷は、最後にちゃんと回収されておりますので、その辺は心配には及ばないと思います。

 

もしかしたら、今までの私の説明を読んで、恋愛物を重点的に読まない人は、少し面倒くさそうな顔になるかもしれませんが、実際、読者側の意見からすると、それで「面倒くさくなる」「中だるみになる」という感覚は一切ありませんでした。むしろ、強く引き込まれたという気持ちの方が強かったです。

 

 

なによりも、感心してしまうのが、これだけ恋愛の角数を増やしておいて、登場人物を誰一人としてぞんざいに扱っていないという点です。一つ一つの恋愛を細かく、互いの気まずさ健気さを拾い上げ、それによって影響を受ける別の人間の「遣る瀬無さ」や「憤り」、また、それによって変わっていってしまう他の関係など丹念に描いてあります。

 

「一つの事を長々と書いてある場面が長い」と退屈するという見方はありますが、私は、必ずしも、全ての状況に、その原則が当てはまるとは思っておらず。むしろ、「書くべき事が書かれていない場面が長々と続いてゆく事は、読んでいて辛い」と置き換えてもよいのではないかと思っております。

 

人間は、基本的に他者との中で生きています。完全に独りぼっちで、誰とも接しない人間というのは、現実的ではないと、私は思っています。

 

逆に言えば、人をちゃんと描くという事が人の心の機微を丹念に描くという意味であるのならば、他者との関係、そこからの心と体の影響を地道に書いてゆくというのが、いわゆる「ちゃんと描く」という事になるのだと思います。

 

つまり、人を描く、物語を描くという事は、「関係」を描くという意味にもなると思うのです。逆に言えば、その人間の関係を描かずに、その人間を描く事は難しい事と言えるのではいでしょうか。

 

あくまで私の考え方で、大変、恐縮なのですが、関わりをちゃんと描かずに、物語が前に進んでしまうと、読んでいる事に違和感を抱いてしまいます。さらにそれが長々と続けられてしまうと、正直、「面倒くささ」「中だるみ感」というものを感じてしまうのも致し方ないかもしれません。

 

 

しかし、「坂道のアポロン」は、かなりしっかり登場人物たちの関わり方を描いていますので、「中だるみ」を感じたり「置いてきぼり感を感じて読むのが面倒くさくなる」というような印象を受ける事はありませんでした。むしろ、ネタバレになるといけないので、あまり登場人物の名前を出しませんが、どんどん感情移入してしまい、かなり切ない気持ちにさせられてしまう登場人物もいます。

 

また、感想文の最初の方でも書きましたが、作品の方を読んでいただければお分かりいただけると思うのですが、小玉ユキ先生の描写というのが、なんか白日夢でも見ているような、良い意味で淡い感じのする絵なんですよね。それが、ジャズを通して出会った少年、少女達の成長という、若い時代の淡い思い出という世界観と、とても重なっていて、とても良いのです。やはり、物語の雰囲気を強く把握できているのは、原作者という事になるんでしょうかね。

 

さらに、「坂道のアポロン」は、かなりラストが綺麗に終わっている作品だなと、私は思っています。やはり、いくつかの漫画を読んでいて思うんですけどラストを綺麗に終わらせるって、色々な意味で難しいんだなと思う時があります。

 

その色々な意味の中には、勿論、書き手の充分な実力という大前提は入っているのでしょうが、例え、書き手に充分な実力があったとしても、上手くラストが終われない作品を見かける事も事実です。その理由には、他に出版社の事情的な物もあるでしょうし、体調不良、社会的な影響、様々な物が関係してくるのだと思います。

 

そして、それだけに綺麗にラストを締めくくれた漫画というのは、とても恵まれた作品なのだと言って良いのだと、私は思います。そういった意味で、「坂道のアポロン」は、その内容の完成度の高さや、物語が醸し出している雰囲気といった物が、まっすぐラストに向かってゆく事ができた。多くの意味で、「恵まれた作品」と言ってもいいのではないでしょうか。

 

 

 

 

プロフィール

manga2525

Author:manga2525
漫画、映画、アニメ、ドラマ大好きです。
すっかりメディアにはまり、きっと、その筋の業界の方には、
私はなかなか良いお客さんなのだと思います。
でも、いいんです。よくよく分かっている事ですので、…というわけで、一人でテレビや本みてほくそ笑んでいるのもなんなので、人前で語ってみようと思い始めたブログです。

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