オリジナル版 魔王ダンテ

永井豪先生の作品は、有名な物が多いです。特に、「デビルマン」や「マジンガーZ」なんかが特に知られた所ではないでしょうか。こちらの「魔王ダンテ」は、その有名な「デビルマン」のモチーフになった作品と言われている作品です。実際は、デビルマンを依頼した出版社の原稿依頼の内容からして、「魔王ダンテを基にした作品」という要望だったらしいです。

 

「魔王ダンテ」が最初に雑誌掲載されたのは1971年ですが、平成になってからも、完成版が作成されています。1994年に風雅明先生が「真・魔王ダンテ」を発表されていますが、永井豪先生ご自身が描かれたのは、1971年に発表された最初の作品と、その後、平成になってから、ご自身で加筆修正され完結した物の二つになります。後に出されたOVAは、平成版の完結版の方を基に作られたようです。私は、まだ、完結版の方は読んでいないので、今回の感想は1971年出版のオリジナル版についてのものになります。

 

最初から、そのように作ったからなのでしょうが、こちらの「魔王ダンテ」は、やはり、「デビルマン」を彷彿とさせる箇所が随所にみられます。…というよりも、これ以降、現在まで続いている「デビルマンシリーズ」の世界観は、ここから続いているといってもいいような気がします。実際、「デビルマンレディ」の中でも、パラレル世界の住人として、「魔王ダンテ」の登場人物宇津木涼君は登場していますので、やはり、永井豪先生の中でも、「デビルマンシリーズ」の一つとして認識しているのだろうなと思われます。

 

本当に失礼な話なのですが、永井豪先生の作品の中にはいくつか、紀貫之を評した有名な言葉「想い余って、言葉足らず」ではありませんが、想像力の膨張率のスピードに、漫画を描くスピードが圧倒的に追いついていないという事があるような気がします。ちなみに、この「追いついていない」という言葉の意味ですが、それは永井豪先生の書くスピードをどうこう言う意味ではなく、反対に、その想像力が膨張してゆくスピードと広さの凄まじさを指している言葉です。

 

勿論「魔王ダンテ」の場合は連載されていた雑誌が休刊となった事による打ち切りという事情はあるのでしょうが、それを差し引いても、恐らく、永井豪先生の頭の中の想像力は、人間の原稿を作り出す限界のような物を軽々と超えているのかもしれません。

 

そして、積み上げられ触れあがった想像は、何処かで爆発し、必ず名作として実を結ぶ。常にそんな過程を踏んでいるような気がしてなりません。そう思うと、よくぞ、過労死する事なく、名作を世に送り出してくれた物だと、感心する気持ちと感謝の気持ちが両方湧いてきます。

 

 

作品のストーリーを紹介いたしますと、「魔王ダンテ」と主人公宇津木涼との出会いは、雪山登山です。この辺は、アニメ版デビルマンを彷彿とさせますね。ちなみに、デビルマンレディでも宇津木涼は、地獄の最下層、神様に反抗した人が永遠に氷漬けになってるコキュートスまで行って、ダンテと合体していますので、永井豪先生のイメージにとっては、「永久凍土の中に封じられた悪魔王」というビジュアルは重要な物だったのだろうなと納得させられてしまいます。

 

 

氷の中に閉じ込められていた魔王ダンテが、テレパシーで宇津木涼を呼び寄せ、ダンテを封じ込めている機械類を壊させて、自由になるという話が、物語の冒頭です。テレパシーを送り続けて、受け取った人間を引き寄せるという方法が、若干、横山光輝の「バビル二世」を連想させますね。

 

結局、引き寄せられ、封印を解かされた宇津木涼が、どうなったかというと、復活したてのダンテに食べられてしまいます。もう、酷いもんで、体上下真二つに食いちらかされる感じです。このシーンも、デビルマンの不動明は、最期は上半身だけになって死ぬし、そもそも、宇津木涼と不動明の顔自体がそっくりです。この辺でも、共通点を感じてしまいます。さらに、これは余談なのですが、マジンガーZのアシュラ男爵、ブロッケン伯爵、ピグマン子爵、ゴーゴン大公なんかにも見られるんですけど、永井豪先生は、体の何処の位置に線をひくかはその時に応じて違いますが、「真二つ」ビジュアルそのものが好きなのかもしれませんね。

 

それはそうと、ダンテが宇津木涼を食べたのにも訳がありまして、ダンテは人間の脳を食べ、その人の経験や知識を手に入れるという能力があるそうでして、永い眠りから覚めたダンテは、現代の情報を何も知りません。封じ込められていたダンテが自分の事を「イスカリオテのユダ」と名乗っていましたので、それが事実で、キリストの磔刑の時に封印されたのだとすると、少なくとも二千年近い時差が生じる事になります。相当の時代遅れです。たれパンダがどうとか、タマゴッチがどうとかの比ではありません。そんなダンテですので、手始めに、宇津木涼の脳を食べて、現代の社会情勢を知ろうとしたわけですね。

 

ところがどっこい宇津木涼も、食べられるだけではありません。自分は食べられた!そう思った宇津木涼が次に気が付いた時、彼は、魔王ダンテとなっていました。ようは、ダンテに吸収される筈だった脳が、逆に、ダンテの体を吸収、支配してしまったという事ですね。この辺も、後のデビルマンのアモンと不動明の関係によく似ていますね。まぁ、この行為自体は、悪魔だ人間だというよりも、カタツムリに寄生して脳を操り、鳥に食べられやすいように仕向けてゆくロイコクロリデュウムや、カマキリに寄生して水辺までカマキリを連れて行った所で、腹を食い破るツリガネムシのような寄生虫の方が近い感じはしますが、人間の意志の力なんて事をテーマにしたい時になんかにも、分かりやすい表現だと思いますが…。しかし、天下の永井豪先生は、何処かで聞いたようなテーマでは、落ち着いてくれません。実際は、宇津木涼がダンテの体を乗取れたのも、偶然ではなく、ちゃんと理由はあるんですよね。ちなみに、元々の理由なんか知らない、ダンテと合体した当初の宇津木涼は、その後、自分のアイデンティティがダンテの肉体にあるのか、それとも、自分の保持している記憶と人格である宇津木涼にあるのか分からなくなり、揺れ動く日々を過ごします。

 

 

結局は、最終的にはダンテとしての自我を確立して、「さぁ、みんなで元気に人類を滅ぼそう!」という事になる分けなんですが、文章の冒頭でも書きましたが、休刊、打ち切りという事情のせいで、ここまでのスピードが本当に早いです。まぁ、仕方がない事だったのでしょうけど、確かに、これだと出版社も読者も、「基にした次回作を…」くらいの事は言いたくなるでしょうね。実際、永井豪先生ご本人も「デビルマン」を書いても、「魔王ダンテ」が完結していないという思いはあったからこそ、後に「完結編 魔王ダンテ」を完成させたのでしょう。

 

 

実際の所、こちらのオリジナル版とされる「魔王ダンテ」には、その後の「デビルマン」などに比べると、不完全で荒い所はあるのですが、根本的には、私は、こちらのオリジナル版「魔王ダンテ」は、作者の脳みそをそのまま紙面に塗りたくったような印象があって、とても面白い作品だと思っています。

 

また、「魔王ダンテ」だけで見ると、このオリジナル版は試作品、未完成品というような受け取り方もありますが、多くのデビルマン関連作品と関連付けて見てみると、その着想、物語の構成、キャラクター…、そうした多くの物が、その後のデビルマンシリーズに繋がっており、まさに、「始まりの書」と言っても、過言ではないでしょう。私としては、こちらのオリジナル版「魔王ダンテ」を読んで、初めて「デビルマン」という物語の輪郭がはっきり捉えることができたような気がしています。

 

 

特に私のような、永井豪先生の作品がお好きな方、「デビルマン」LOVEの方は、こちらのオリジナル版「魔王ダンテ」は楽しめる作品なのではないかなと思っております。


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