夏の前日

こちらの作品、納得のできるエロさを持った作品です。

美大生の青木君と、画廊に勤める藍沢さんの恋愛を描いた作品です。

基本的には、SFでもファンタジーでもなく、日常を描いているので、そんなストーリーに起伏があるわけではないのですが、「おもしろい」です。

 

起こる出来事は、日常生活の事なのですが、美大生の青木君は、年代的には揺れ動く年齢だから、一見すると相も変らぬ日常でも、本人の心の中は、常に揺れ動いて大嵐です。一方、藍沢さんの方も、年上の女性として、いまいち素直に愛情を表現しきれないもどかしさをもっていますし、その辺を細かく表現できてしまうと、恋愛青春物は一大スペクタクルになってしまうという事なのでしょうね。

 

あと、これは冒頭の言葉にも通じるのですが、とても感心させられる点があって、「夏の前日」は、とてもセックスの描写を、上手く、効果的に…、そして、真面目に使っている作品なのだという印象を受けました。

 

 

作品の主題が「思春期」「恋愛」「芸術」という点にあるので、表現内容も性表現が多くなりますが、読んでいて、嫌悪感や違和感、奇をてらうような異常性を感じさせるような表現はありません。とても納得のゆく性表現なんですよね。

 

 

「夏の前日」という作品は、性表現の場面は多いのですが、所謂、性衝動を掻き立てるのが目的の性表現とは、対極にある表現といえます。

 

例えば、ある人がある店で、とても食事をおいしそうに食べている姿があるとして、その「おいしさ」というものは、その人の主観である以上、その場面の「おいしさ」というのを知る為には、やはり、その登場人物が、「何故、その食品が好きなのか?」「何故、その時にその食品を選んだのか?」「何故、その店に入ったのか?」「その人の年齢は?」「家族はいるのか?いないのか?」「家族がいるのなら、家族の中で、何を感じているのか?」「何故、家でご飯を食べないのか?」様々な何故を解きながら、食べている人を理解した上で、目にする食事のシーンと、食事のシーンだけを切り取った場面だと、全く、感じた方が違うと思うのです。

 

どんなに精巧に描かれたとしても、「その行為」だけを切り取った描写というのは、「読んでいる本人の投影」、もしくは、「不特定多数の一般的な行為」という域を出ないのではないでしょうか。

 

勿論、こうした手法により、その動作のみをクローズアップし、性欲なり、食欲なりを描き、読者の強い衝動を高めるというやり方はありますし、そうしたやり方による名作というのも沢山あります。

 

また、こうした目的で性行為、食事といった物を描く時、必要以上の緻密なストーリーや登場人物の背景といった物は、それ程、必要がないのかもしれません。…と、いうよりも、むしろ、読者自身が自分と勝手に重ねる事を考えれば、むしろ、そうした設定などは、少なければ少ない程、良いとさえ言えます。平たく言えば、知り合いや、親のセックスは、基本的には見たくなくなるという気持ちと近い心理作用なのかもしれません。

 

しかし、一方、人物の背景やストーリー、必然性を緻密に積み上げてゆく事で完成する表現というのも、性衝動を高めるという目的には蛇足であったとしても、描かれた人物に対する強い共感と、特別視を生み出すという目的にとっては欠かせない要素のひとつと言えるでしょう。「夏の前日」で描かれる性描写は、そういった意味で、登場人物と彼らが生きている世界を描くのに必要な、「納得できるエロさ」を持った物だと感じました。

 

「夏の前日」の性描写は、とてもプライベートな雰囲気で、耳元の息遣いが聞こえてきそうな程リアルさを感じられます。時には、セックスの描写は細かくても、登場人物の想いに共感して、性衝動よりも、痛ましさや、遣る瀬無さのような感情が沸き起こってしまう場面も多々あります。おそらく、これが、「その人間の性としてセックスを描く」事と「セックスを描くに、その人間を使う」作業の違いなのでしょう。

 

本来、セックスという行為自体が、その人間の背景、生活全般、性格、精神状態、相手との関係性といった物によって左右される行為であり、一回、一晩だけの相手というのなら別ですが、関係性を感じられない人間と毎日セックスをするという事は、男、女に関わらず苦痛なのではないかと思います。また、毎日、セックスをしていて、関係性を欠片も感じる事が出来ないというのも、非現実的な状況だと言えるでしょう。

 

現在、付き合っている恋人同士であっても、時がすぎ、考え方が変わり、互いのすれ違いが多くなれば、別れる事もあるでしょう。それは、恋人同士に限らず、夫婦にだって言える事です。しかし、お互いを求め会えている間は、別れの時がくるだなんて事は想像もできません。それだけに、誰かと、求めあえていられる時間というのは、とても短い、そして、とても恵まれた時間なのだと言えるでしょう。

 

 

「夏の前日」は、性描写を、そんな人間の心の揺れ動き、そして、貴重な青春の美しい時代を表現する手段として巧みに使っているのだなという感想を素直に受けます。だから、読み終わった後、二人は、どうなったのだろうと気になってしまいます。

 

しかし、この作品は、「夏の前日」で終わりではないのですね。「夏の前日」のその後を描いた「水の色 銀の月」という作品もあるのです。

 

実際は、原作者の吉田基巳先生は「夏の前日」の続編として書かれたわけではなく、「夏の前日」の方が「水の色 銀の月」のスピンオフなのですが、どちらも、共通して、性と恋愛に関して真面目に向き合っている作品です。

 

吉田先生は、1998年に「水の色 銀の月」で「わたせせいぞう賞」を受賞され、これがデビュー作となったようです。ちなみに、受賞作の段階では、タイトルは「水と銀」だったのですが、その後、連載が続くようになり「水の色 銀の月」へと改題されたようです。

 

青木君は、その後、「水の色 銀の月」という作品の中で華海ちゃんという彼女と付き合う事になります。時系列で言えば「夏の前日」は、華海ちゃんと付き合う前の彼女とのお話です。そして、それを考えながら読むと、かなり「夏の前日」は切ないです。さらに、反対に「夏の前日」読んでから「水の色 銀の月」を読むと、これまた切なくて、胸の奥が「きゅいんきゅいん」鳴りっぱなしになります。

 

考えてみれば、20年以上前に書いた作品の、登場人物の、さらにその背景を漫画で描くという行為をなさった吉田先生ですが、読者としては、我が身を振り返りつつ「よく思い出せるな…」と感心してしまいます。

 

また、吉田先生が年齢を重ねて深みが増した所為もあるんでしょうが、「夏の前日」は、かなり「深み、切なさ、ノスタルジィ増し増し」で運ばれてきます。おっさんの私は、色々思い出してしまい、数日間は後を引きました。

 

最近、心に「きゅいんきゅいん」が足りないなと思う方は、両方とも是非、読んでみて欲しい作品です。

 

 


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Author:manga2525
漫画、映画、アニメ、ドラマ大好きです。
すっかりメディアにはまり、きっと、その筋の業界の方には、
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