妻、小学生になる。

こちらの作品は、村田椰融という先生の作品ですが、私、あまりこの先生の作品を読んだ事ありません。っというより、失礼ながら「妻、小学生になる」で初めて、村田椰融先生のお名前を知りました。

 

あらすじは、亡くなった妻が十年ぶりに生まれ変わって家族の目の前に現れるという話です。ただ、亡くなってからすぐに生まれ変わったので、十歳の小学生になっていますよ。という話です。

 

私の浅薄な読書歴だと、蘇り物の多くが、故人が蘇って出会った所でラストだったり、そうでもなければ、数百年ぶりに巡り合って、お互いに前世で出会っていると把握して、なんかあれやこれやでキスして終わり、なんだったら、何か「化け物っぽい奴」と戦い始めちゃったり、そんなのが多い気がします。

 

ようは、生まれ変わる前や、生まれ変わったと自覚する前の話がメインにあったりする場合が多かったように記憶しています。勿論、「長い苦難をのりこえ、来世で結ばれなった二人が巡り合い…」それ自体で、感動的ですし、何度も使われてきたパターンなので、話も組み立てやすいという理由もあるのでしょう。

 

 

私も、離れた二人が巡り合えるよう願いながら、そういう物語を読んでおりましたが、読み終わった後に、ちょっとした疑問を感じずにはいられなかったんですよね。それは、「この人たち、このあとどうすんだ?」という疑問です。

 

物語というものが、エンターテーメントとして作られている以上、こうした疑問が野暮の極みと言われても仕方がないのですが、「再び、巡り合っても、現在の恋人がいたなら、後でしこりが残りそう…」とか、「前世とか、分かったら、後で気まずくなりそう…」とかそんな事を考えてしまいます。「妻、小学生になる」は、そんな疑問に焦点をあててくれた作品と言えるかもしれません。

 

主人公、新島貴恵は、ある日突然、前世の記憶が蘇り、過去の夫と娘の元を訪れます。そこで目の当たりにしたものは、自分の死後、10年の歳月を経ても、未だに、貴恵の死を受け入れられないでいる夫と娘の姿でした。

 

貴恵が現れた事で、夫と娘の生活はすこしずつ前むきになってゆきます。しかし、突然、起こった奇跡を、普通の社会で続ける事には様々な問題がありました。

 

蘇った貴恵は、10歳の少女に生まれ変わっており、現在は白石万理華という別の人間として生きています。10歳の少女が、大学生の娘がいる中年男の家に入り浸っていれば、それはもう怪しむなって方が無理です。

 

貴恵の方も、生まれ変わった現在の自分と、生まれ変わる前の新島家の自分との間で揺れ動く事が多くなります。

 

自分と一言に行っても、捉え方でいくつかの自分が存在します。一つ目が生命活動的な自分、二つ目は、自分が自分だと思う自分、三つ目は他人が捉えている「自分」。他にも色々な捉え方はあるのかもしれませんが、「妻、小学生になる」の貴恵というキャラクターの立場では、主に、この三つの「自分」が交錯しているように思えます。

 

まず、一つ目の生命活動的な「自分」は、貴恵の場合、十年前に消滅し、今は白石万理華の肉体として生存しています。二つ目の「自分」は、これまた難しく、一回消滅したものの、現在は、白石万理華という少女の「自分」と同時に存在しています。さらに、三つ目の「自分」、ようは、夫や娘、または、小学校の同級生、白石万理華の保護者が認識している彼女などです。この辺りを整理してみると、三つ目の「自分」に関しては、やはり気になるのは、恐ろしく、貴恵として、彼女の事を認識している他者が少ないという点です。

 

本来、健康的な状況だと、本人が意識している「自分」と、他者から認識されている「自分」というのは、完全とは言わないまでも、ある程度の近さがあってこそ、二つの自分の折り合いがとれるというものです。

 

それが、あまりにもかけ離れている場合は、よく聞く言葉ではあるのでしょうが「自我同一性拡散の危機」とも言えてしまうかもしれません。精神的には、良い環境とは言えないでしょう。本来、自我同一性とは、成長期は人生のステージでその都度、本人が悩みながら社会の中の自分と、自分が思う自分の間に折り合いをつけつつ獲得してゆくものです。

 

勿論、貴恵は、もう故人とは言っても、一度、成長し自我同一性を獲得し社会科された存在ですので、成長期の子供程、極端な影響は出にくいとは思いますが、忘れてならない事が一つあります。新島貴恵は、新島貴恵であると同時に、白石万理華という小学生だということです。そんな風に考えると、村田椰融先生が、この先の貴恵の変化をどのように描くのかが楽しみです。

 

また、一つの疑問が浮かびます。そんな過酷な状況に陥る事を、白石万理華という人格が何故受け入れたかという事です。「貴恵の家族を想う気持ちが奇跡を起こした」というのもありなのですが、貴恵の様子を見ていると、むしろ自分の死を乗り越えて欲しかったとまで言っているくらいなのですから、そういう分けではなさそうです。この答は、わりと簡単で、おそらく、過酷な状況であっても、「そうなる前の方が、万理華にとっては過酷だったから」なのだと思います。読み進めるうちに、万理華の家庭環境が描写されると、読んでいて暗くなりながらも納得できます。

 

そんな状況の中、新島家の中から、本気とも冗談ともとれない提案が出ます。「あと8年待って、白石万理華として夫と再び結婚する」という提案です。おそらく、白石万理華としての「自分」、新島貴恵としての「自分」を、そして、周りの他者からの見た時の「彼女達」それらを両立させる、一番、直接的な方法なのかもしれません。

 

同時に、その方法に無理がある事は、新島家全員が感じているのでしょう。しかし、そう決める事が、再び、大切な物を失ってしまうのではないかという不安から、逃れる事ができる方法だったのかもしれません。

 

読んでいる最初の内は、「8年後に結婚とか、おかしいだろう」と思いましたが、読み進める内に、妻が死んだ後の夫の焦燥ぶりややつれ方を見ていると、「そうする事のおかしさ」は感じているものの、「そうしない事の理由」が自分の中で曖昧になってきてしまい、どちらとも言えなくなってしまいます。「新島貴恵と白石万理華が、いかにして幸せになるか?」これこそが、この漫画のテーマだと私は勝手に思っていますので、ストーリーの経緯が、どこを終着点とするのかが、とても楽しみな作品だと思っております。

 

また、何度も書くようですが、貴恵を失った後の夫の崩れっぷりがなかなか凄いです。よく、後を追わなかったと褒めてあげたくなってしまいました。正直、妻を持つ身としては、読んでいて辛くなり、暫くの間、自分の奥さんに対して、いつもよりも1.5倍くらい優しくなりました。

 

 

ちなみに、奥さんに「妻、小学生になる」を見せ、いつものように暑苦しく語ってみた所、「逆で良かったね」という言葉をもらいました。

彼女が、何を言っているのか分からなかったので聞き返すと、

「タイトルだよ」と言われ、本のタイトルをもう一度、声に出して読みました。

「妻、小学生になる?」

「妻と小学生、逆にして見たら?」

「小学生、妻になる…、ああ、そりゃ駄目だ。捕まるわ」

「ね」

こんな何気ない会話が一緒に出来ることがやけに嬉しく思えました。

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Author:manga2525
漫画、映画、アニメ、ドラマ大好きです。
すっかりメディアにはまり、きっと、その筋の業界の方には、
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でも、いいんです。よくよく分かっている事ですので、…というわけで、一人でテレビや本みてほくそ笑んでいるのもなんなので、人前で語ってみようと思い始めたブログです。

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