ザ・ワールドイズ・マイン

これも有名な漫画ですね。

正直、私としては、後味の悪さは、なかなかトップランクに入る漫画です。周辺の友人も、特に女友達からは「生理的に受け付けない」「気分が悪くなる」と批判以前のお言葉を聞かされた漫画です。

 

それ程までに、嫌われる理由も分らないわけでもないですけどね。

まず、画風が苦手という方が案外多かった。作者の新井英樹先生は、他にも「宮本から君へ」「愛しのアイリーン」と名作を生み出している先生ですが、画風は基本的に、それらも「ザ・ワールドイズマイン」も変わりません。

 

・・・っと言うよりも、こちらの新井英樹先生は、かなり社会派というか、人間の剥き身な部分を描き出す事に長けた作家さんだと思うのですので、あんまり、綺麗な方向にディフォルメされた画風でも、何か不自然が残ってしまうような気がするので、私は、この人の作風に、大変、適合した画風なのではないかなと思っております。

 

さて、苦手意識を生み出しても、なお、その絵が似合うと言われてしまう漫画の内容ですが、凄く平たく言うと、二人組の殺人鬼の話です。

あら?ここで、若干、読んでいる人が眉をしかめるのが伝わってくるような気がします。

さらに、巨大熊が沢山人を殺します。

さらに、人が引いてゆくのを感じます。

そして、最後には人類とか・・・、滅びます。

もう、ここで「読むの面倒くさいな」とお思いの方もいらっしゃるとは思います。でも、それが、素直な反応なんですよね。

 

ただ、ここで立ち止まって考えてみていただけると嬉しいのですが、そんな多くの人が、読むのを面倒くさくなりそうな話の上、血なまぐさい描写はてんこ盛り!それでも、未だに、私という一人の人間の頭に居座り続け、一気読みさせてしまうという事自体、この漫画の持っている力を表しているのではないでしょうか。

 

ちなみに、この「ザ・ワールドイズマイン」ですが、映画「バトルロワイヤル」の深作欣二監督が、最後に映画化しようとして、なし得ないまま、天寿を全うされたという意味でも、有名な作品です。深作欣二監督も、やはり、この漫画の力強さのような物を感じていたのでしょうか。

 

さて、話の内容ですが、主人公は「モンちゃん」という正体不明のロングコートを着た男です。そして、もう一人、「モンちゃん」の相棒となる男「三隅俊也」です。そもそも「モンちゃん」には名前自体がなく、この「モンちゃん」という名前自体が三隅俊也が、「モンちゃん」の命令でつけたくらいなのです。そして、ここから三隅俊也を始めとする多く人間が、「モンちゃん」の影響を受けてゆくのです。

 

 

元々、郵便局員として働いていた三隅俊也でしたが、人知れぬ趣味がありました。それは、自分のアパートに籠もり、爆弾を作る事でした。そうは言っても、作った爆弾を使う事はなく、ただ、爆弾を作り妄想するというのが、彼の趣味でした。っというよりも、妄想の中に食いとどめておかなければならないと、三隅俊也本人は認識していました。ただ、「モンちゃん」に自分の隠していた部分を観られ、それを褒められると、三隅俊也の心にあった歯止めのような物が消えてゆきます。

 

そして、「モンちゃん」に引き出されるように、三隅俊也の狂気の部分が、表に出て行きます。この過程は、私の感想を入れてしまい申し訳ないのですが、まるで、惚れた相手に褒めてもらおう、受け入れてもらおうと、必死になり、全てを投げ出し、モラルさえも目に入らなくなってしまう・・・、そんな歪な恋愛関係のようにも見えました。そして、このまま、二人は殺人鬼街道を走ってゆきます。

 

 

以上の「モンちゃん」と「三隅俊也」との詳しいなりそめなどは、物語の構成では、最後の方で振り返って描かれていますが、物語前半は、特に目的もなく北海道を目指して、殺人の旅を続ける二人と、二人の殺人旅行とほぼ同時に北海道に出現し、二人とは反対方向に、人を食べながら南下してゆくヒグマ、この二つの殺人者の動向と、その二つの衝撃に影響を受けてゆく過程を丹念に描いています。

 

ここで、漫画で描かれている「モンちゃん」の殺人の特徴をあげておくと、彼の殺人には「性的な興奮」も「社会や個人に対する憎しみ」も存在しません。あるのは、空腹の獣が腹を満たすかのような、猫がネズミを本能的にいたぶり殺すような、もっと、具体的に言うならば、玄関を出ようとしたら、箒が倒れていて邪魔だったからどかした程度の物なのです。あくまで、「モンちゃん」にとっては、殺しは生活の一風景であって、それは、人間を食いながら南下するヒグマとなんら変わりのない事なのかもしれません。しかし、現代社会の中で生活する人々は、この二組の「自然」に、文化的生活の中で培った多くの物を揺るがされます。それは「理性」であったり、「道徳」「社会性」であったりします。

 

また、その影響の大きさも、諸個人の犠牲者から、地域の噂話、メディアを通して社会への影響となり、その変化は、ついには国家、世界へと広がり、それぞれの持つ狂気を導き出し、今まで、絶妙なバランスで辛うじて噛み合っていた、世界という名の他人どうしの歯車を、絶妙なバランスで軋ませ、ずらしてゆきます。誰も気づかない内に、少しづつ、少しづつ・・・。

 

物語の前半は、時折、登場人物の回想シーンに行ったり、取材形式で「モンちゃん」が大量の重火器を手に入れられた経路を、読者に判明させたりという説明的な場面や、場面がヒグマサイドに移ったりはしますが、基本的に私達読者は「モンちゃん」ご一行の殺人旅行と、ほぼ、同じ時間軸の中で物語りを読み進めてゆく事になります。

 

そして、「モンちゃん」と「三隅俊也」が離ればなれになるシーン以外は、物語前半分の読者の目線は、根本的には三隅俊也に重ねられています。そして、それだけに、「モンちゃん」という人間に、三隅俊也が引きつけられてゆく過程が、「モンちゃん」の特異性とともに描かれています。

 

ここで物語の中で、有名な「モンちゃん」の台詞をあげてみると、

「物事は全て、同じ物差しの上にある」

「俺は俺を肯定する」

「命は平等に価値はない」

よくよく、聞いてみると、現代の考え方と正反対の考え方ですが、ちなみに彼が何故、この言葉を口癖のように言うようになったのかも、作品の後半で描かれますが、それは、興味のある方がご自身で読まれるのがよいかと思います。

 

なにはともあれ、程度の差はあれ、自分の見知った生活から、あまりにも逸脱した世界を目の当たりにしてしまうと、目の前の人や物事に強い吸引力を感じてしまう場合はあると思います。それが詐欺師の作った嘘ならば、詐欺被害者になるかもしれませんし、相手が独裁者ならば、時には知らない間に虐殺の片棒を担がされてしまう事もありえます。

 

三隅俊也だけに限られず、物語の中の多くの人間が、「モンちゃん」の言葉に踊られます。特に、「俺は俺を肯定する」という言葉は、物語の主軸となるキーワードの一つでもります。そして、そうしたキーワード一つで、人々が混乱してゆく過程が、これまでかというくらい書かれている事も、この作品の魅力だといえるのではないでしょうか。

 

この物語は、当然フィクションではありますが、人類をテーマにした一つの思考実験のような気がしてなりません。人間の社会というのは、絶対の悪もなければ、絶対の善という物も存在しないと私は思っています。

 

それは一方で、人間には理由なく人に善行を行う方向性があるのならば、大した理由もなく人に悪行を行う方向性も存在するという事なのだと思うのです。

 

その辺の方向性が、色々な人たちが関わる中で、影響を受け合い、善意の方向性が強く出たり、悪意の方向性が強く出たりとしながら、なんとか帳尻が合って存続しているという言い方も出来ると思うのですが、それが、もしも、そうした人の関わりの連鎖による影響が悪意の方向へばかり強く動いた時、それは、気がついた時には、誰も止められない巨大なうねりのような物となり、全てを飲み込んでしまうのではないか・・・。

 

そんな思考実験の一つを目の当たりさせられたような気がします。激しい悪意に対するディフォルメと同時に、妙な説得感のある作品だったと、私は思いました。


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